【ワークショップ(読書会)】
- 発表者:朴志祐
- 対象詩:Le Langage des fleurs ou des étoiles
報告
14 歳で詩作を始め、コクトーやピカソらと交友を持ち「夭折の天才」と呼ばれたレーモン・ラディゲ。彼の散文詩「花、あるいは星たちの言葉」を取り上げた読書会が行われました。
テクスト
Le Langage des fleurs ou des étoiles
J’ai demeuré pendant quelque temps dans une maison où les douze jeunes filles ressemblaient aux mois de l’année. Je pouvais danser avec elles, mais je n’avais que ce droit, il m’était même défendu de parler. Un jour de pluie, pour me venger, j’offris à chacune des fleurs rapportées de voyage. Il y en eut qui comprirent. Après leur mort, je me déguisai en Bandit pour faire peur aux autres. Elles faisaient exprès de ne pas s’en apercevoir. En été tout le monde allait prendre l’air. Nous comptions les étoiles chacun de notre côté. Lorsque j’en trouvai une en trop, je n’ai rien dit.
Les jours de pluie seraient-ils passés? Le ciel se referme, vous n’avez pas l’oreille assez fine.
花、あるいは星たちの言葉
僕がしばらくの間住み着いたある家では十二人の少女が一年の月々に似ていた。彼女らと踊るのもできたが僕の主権とはそれだけで、口外することさえ僕には禁じられていた。ある雨の日、旅路から収めてきた花を、彼女ら各々に贈りあげた、仕返すために。わかってくれるものが何人かいた。彼女らが死んだ後、強盗に変装したのは他の少女たちを怖がらせるためであった。彼女らはわざと気づかないふりをしていた。夏にはみんな気晴らしに行ってた。僕たちはそれぞれに映る星を数えていた。その中、一つ余った星を見つけたが、僕は何も言わなかった。
雨の日はもう過ぎ去ったのだろうか? 再び空は閉まり、貴方たちの中にかなり繊細な耳など見つかりはしない。
レーモン・ラディゲとは
・Raymond radiguet、1903 年 6 月 18 日 - 1923 年 12 月 12 日、20 歳没。フランスの小説家、詩人である。出身はサン・モール・デ・フォッセ (Saint-Maur-des-Fossés)
・早くから才能を開花させ、14 歳で詩作を始めた。またコクトー、ピカソ、モジリアーニなどとも交際。
父親からギリシア語とラテン語を習いながら、徐々に詩作に手を染める。15 歳の時に父親の知り合いのつてをたどって知り合った詩人のマックス・ジャコブに詩を評価され、同じ詩人のジャン・コクトーに紹介される。コクトーはラディゲの才覚を見抜き、自身の友人の芸術家や文学者の間に紹介してまわる。数多くのコクトーの友人との交友を通して、ラディゲは創作の重心を徐々に詩作から小説に移し始める。
・17 歳前後に複数の詩集を出版。『燃える頰 Les Joues en feu』、『休暇中の宿題 Devoirs de vacances』。
・代表作である『肉体の悪魔 Le Diable au corps』は 18 歳の時、『ドルジェル伯の舞踏会 Le Bal du comte d’Orgel』は 20 歳の時に書いた。「フランス心理小説の傑作」に仕立て上げていることから、「夭折の天才」の名にふさわしい文学的筆力の持ち主であったと評されている。
議論のポイント(謎)
・«filles» から «autres», «nous» に至るまで語り手と同棲している、一緒に暮らしている少女たちの得体、または象徴は何か?
・«il m’était même défendu de parler.» «je n’ai rien dit» など、何かを口にだすのが禁じられているのは?
・«Bandit»
・«en trop» の意味
・最後の連の «vous» は誰に向かっているのか?
・耳
Le Pluriel des noms (Devoirs de vacances より 1921)