Atelier/Poétique

フランス現代詩研究会

フランス現代詩研究会

シルヴィア・バロン・シュペルヴィエルを読む

フランス現代詩研究会 2021 年 9 月例会

  • 日時:2021 年 11 月 8 日(日本時間 20:00-22:00/フランス時間 13:00-15:00)
  • 場所:日本/フランス(オンライン)

【ワークショップ(読書会)】

  • 発表者:佐藤園子

  • 対象詩

    • Après le pas (1997)
    • Sur le fleuve (2013)

シルヴィア・バロン=シュペルヴィエル(Silvia Baron Supervielle, 1934〜)

経歴

1934 年、ブエノス・アイレス出身。母親はスペイン系のウルグアイ人で、父親はフランス系のアルゼンチン人。二歳の時に母親が亡くなり父方の祖母に育てられる。後に、自らの精神はウルグアイとアルゼンチン二つの岸辺を持つラ・プラタ河(Río de la Plata)で過ごした人生の前半の経験によって作られていると述べている [1]

ブエノス・アイレスにて、スペイン語で詩や小説を書き始める。1961 年に旅行でパリを訪れ、あと二週間ほどで帰る頃になって突然残って働きたくなり、偶然仕事が見つかったため滞在を延ばし、そのまま離れられなくなる [2]。長い沈黙を経てフランス語で詩を書き始める。作家によると、フランス語を選んだというわけではなく、フランス語と自分が「互いに偶然歩み寄った」[3]

1973 年にモーリス・ナドーに迎えられ『レ・レットル・ヌーヴェル』誌に詩が掲載される。詩、エッセー、小説をはじめ、伝記素(biographèmes)、翻訳、言語についての考察など自由にジャンルを絡み合わせた著作が三十程ある。ボルヘスやコルタサールらのフランス語への翻訳者、ユルスナールのスペイン語への翻訳者としても知られる [4]

若い頃から絵画に興味を持っており、作品の中でも重要な役割を担っている [5]。1977 年に限定版が出版された第一詩集『窓』(Les Fenêtres)には、ジュヌヴィエーヴ・アッスの版画が挿絵として入れられている。1987 年にはブエノス・アイレスでアンリ・ミショー、ジャン・ドゥゴテクス、ジュヌヴィエーヴ・アッスの展覧会を企画。「私の詩はデッサン帳のように見られ読まれるように書かれている」[6]

詩集

  • Les Fenêtres, à tirage limité et numéroté, 1977.
  • Plaine Blanche, Carmen Martinez, 1980.
  • Espace de la mer, Thierry Bouchard, 1981.
  • La Distance de sable, Granit, 1983.
  • Le mur transparent, Thierry Bouchard, 1986.
  • Lectures du vent, José Corti, 1988.
  • L’Eau étrangère, José Corti, 1993.
  • Après le pas, Éditions Arfuyen, 1997.
  • Essais pour un espace, Éditions Arfuyen, 2001.
  • Pages de voyage, Éditions Arfuyen, 2004.
  • Autour du vide, Éditions Arfuyen, 2008.
  • Sur le fleuve, Éditions Arfuyen, 2013.
  • Al Margen/En marge, poésie complète en édition bilingue espagnol-français, Adriana Hidalgo editora, Buenos Aires, 2013.
  • Un autre loin, Prix Alain Bosquet 2018, Gallimard 2018.
  • En marge. Éditions Points, 2020.

翻訳と解説

Après le pas (1997)

ici l’heure
ne garde
ni n’égare

ici l’herbe
se repose
des ruines

***

abandonner les mots
sur le bord du chemin
qu’un noir différent
tisse dans la percale
leurs lettres aiguisées
que le suc d’une autre
solitude les pénètre
qu’une ombre contraire
leur serve de profil
indécrit et de refuge
qu’un nouveau signal
vain et sans raison
les signifie

*

j’ai abandonné
ma langue
et j’ai marché
longtemps

même le rythme
de mon pas
je le quittais
même le son
de mon silence
je le perdis

*

à l’aide de la plume
du crayon et des ratures
qui éraflent les copies
grâce à l’encre trempée
d’océan et de distance
aux flammes délaissées
dans la mémoire secrète
et au souffle qui ramène
mon regard et mes pas
dans la poudre disparus
je soulève une trace
enterrée vivante

*

un fantôme
blessé
que nulle
science
ne savait
guérir

*

craquements
du parchemin
distendu
qui se tache
de fugitives
giclées

*

le déchirement
du signe
sur le blanc
délivrerait
le jour

*

même à moi
revenue
je reste
partie

『踏み出して』(抄訳)

ここでは時は
⾒張りもせず
⾒放しもしない

ここでは草が
休息する
廃墟に疲れて

***

道端に
⾔葉を置き去りにすること
そうすれば別の⿊⾊で
平織の綿布の中に
その尖った⽂字が織られるから
もうひとつの孤独
のエキスがそれに染み込むから
逆向きの影が
その描かれない輪郭
と隠れ家になってくれるから
新しいサインが
虚しく訳もなく
それを意味するから

*

⼿放しました
私の⾆を
それから歩いた
⻑いこと

歩くリズム
からでさえ
離れていった
黙ったときの
あの⾳⾊でさえ
私は失くした

*

原稿にすり傷を付ける
ペンと鉛筆と
取り消し線の助けを借りて
⼤洋と距離に浸った
インクのおかげで
秘密の記憶の中に
投げ出された炎と
粉に消えた
私の視線と⾜取りを
甦らせる息吹のおかげで
私は⽣き埋めにされた
⾜跡を持ち上げる

*

幽霊がひとり
傷ついても
いかなる
科学も
癒すことが
できなかった

*

みしみし
⽺⽪紙が
張り詰めて
染みがつく
⼀瞬の
ほとばしりで

*

引き裂かれる
記号は
紙の上で
光を
解き放つかもしれない

*

帰ってきた
私へさえも
私はまだ
出かけたまま

Sur le fleuve (2013)

j’entends un cri
dans l’encre
qui ne sait pas s’écrire
lorsque la plume
sur la surface sereine
dessine un autre
reflet

***

le flûtiste
de l’espace
se promène
en scrutant
l’accord
disparu

*

j’imite le rythme
du chemin
sur une trace
qui change
de pas

***

je me cherche
sans me trouver
dans la glace

les passants
dans la rue
me croisent
sans me voir

sans trêve
je pense à toi

*

que je sois la note
exposée à la voix
ou le vol du verbe
éloigné de mes lèvres
je suis un cristal
qui interroge
son portrait

***

par le tracé
tranchant
du poème

d’ici peu
à peu je
sors

*

de revenir
et à la fois partir
sans arriver

le pas ne voit
plus le sol

***

à droite à gauche
en haut en bas
une voix cherche
sa langue loin
d’ici et proche
de la naissance
et de la fin

『川に沿って』(抄訳)

叫び声が聞こえる
書かれる術を知らない
インクの中から
ペンが
穏やかな表⾯に
もう⼀つの反射を
描くとき

***

空間の
フルート吹きが
散歩する
消えた
和⾳を
探りながら

*

私は道の
リズムを真似よう
歩調を変える
⾜跡に
沿って

***

⾃分を探している
けれど⾒つからない
鏡の中には

道ゆく
⼈々と
すれ違っても
私を⾒はしない

休みなく
私はあなたを思う

*

私は⾳⾊でありたい
声にさらされて
もしくは抑揚の⽻ばたき
唇から離れていく
私は⽔晶
占うのは
あの⼈の肖像

***

詩の
よく切れる
線を辿り

ここから少し
ずつ私
は出ていく

*

戻ってくる
と同時に出発する
到着することなく

⾜跡はもう
地⾯を⾒ない

***

右へ左へ
上に下に
声は探す
その⾆を遠くに
始まり
と終わり
の近くに

詩集 Après le pas(1997)と Sur le fleuve(2013)から数篇ずつ読みました。シルヴィア・バロン=シュペルヴィエルの詩は、タイトルを持たず、大文字を一切使用しないエクリチュールと、音節数と行数の少ない短詩の形によって特徴付けられています。そこでは、意味を成す言葉の塊が、波のように寄る辺なく漂い、風に吹き飛ばされるかのごとく連れ去られていきます。フランス語自体は決して難解ではありませんが、広大な紙片に道標なく残された言葉を前に、研究会では様々な意見が交わされました。

まず、Après le pas の冒頭の詩篇にある「廃墟」という言葉が示唆するように、詩全体を寂寞とした空気が漂っていることが指摘されました。バロン=シュペルヴィエル自らが翻訳にも携わっているアルゼンチンの詩人アレハンドラ・ピサルニク(Alejandra Pizarnik, 1936-1972)のような暗さ、寂しさがあるという見方も提示されました。このような寂しさは、短詩の形式そのものと密接に結ばれており、詩行の切断によって生まれていると考えられます。とはいえ、 « abandonner les mots …» で始まる詩篇以降、エクリチュールの生まれる瞬間に立ち会うようなメタポエティックな詩は詩行が他の詩に比べてやや長くなっており、このひと続きの詩群を、フランス語で書けるようになっていく一連の流れとして読むことができるという解釈も出ました。確かに、ここには神秘主義的な雰囲気を持つ薄暗さから、光の方へと向かっていく物語の断片を認めることができるかもしれません。しかし、 « délivrerait /le jour » の条件法が示しているように、この物語が完成を見ることはなく、方向性が示されるだけで、出発と帰還が交差する場所、時が佇む茫漠とした空間へと送り返されていきます。

次に Sur le fleuve から抜粋した詩篇について意見が交わされました。« par le tracé /tranchant/du poème » と始まる削ぎ落とされた文体と改行が特徴的な詩において、「線」は紙の端で手が切れるような詩の頁であり、傷口から « je » が立ち現れるようにも捉えられることから、ここには作家の苦しみが表現されているという読解が提示されました。また、 « d’ici peu / à peu je /sors » と改行されることで、 « je » に強勢アクセントが置かれ、 « peu » と « je » の脚韻が揃えられることにより、 « je » が絞り出されてくる感じが際立つというアクセント上の工夫があることが指摘されました。さらに、線的に捉えられる詩と、「空間の/フルート吹きが…」と始まる詩篇における「フルート」の細い息の間に相関関係が見られるのではないかという意見が出ました。さらには、 « giclées » という言葉に fistulāre「フルートを吹く」という語源が認められることから、とりわけ単旋律の楽器による音楽的な要素が彼女の詩の根底にあるのではないかという考察がなされました。

続いて、音楽的な要素の話から、 « voix » (「声」)の問題へと議論が展開されました。Sur le fleuve の最後の詩篇にあるように、ここでの「声」は「肉体から離された声」であり、声はその « langue »(「舌」)を探しています。それは、「声」のずっと手前にあると考えられる « cri »(「叫び声」)を聞き取ることによって始まる、 「声」の一歩手前にある « note »(「音色」)の探求でもあると言えるかもしれません。試訳では「舌」と訳されている « langue » は、バロン=シュペルヴィエルの伝記的要素を考慮に入れるならば、第一義的には「私の言語」(=スペイン語)と捉えることもできるでしょう。しかし、« langue » を「声にまつわるもの全て」と捉えれば、途端に、沈黙からでさえ遠い世界が広がり、そこには「足跡」のみが残されているかのようです。

事実、 « pas » という言葉は、詩集 Après le pas はもとより、今回扱った詩篇全体を通して高い頻度で使用されています。歩くことはリズムを刻むことでもあることから、 « pas » という短い言葉で詩そのものを暗示しているようにも読めるでしょう。舞踏の言葉でもある « pas » は、まさに「唇から離れていく抑揚の羽ばたき」のように、軽やかに飛んでいく響きを持っています。これ以外にも、詩の中で重要なフレーズには、開かれ、飛んでいくような響きがあることが指摘されました。例えば、「帰ってきた/私へさえも/私はまだ/出かけたまま」という詩篇に、寄る辺ない寂しさと同時に軽やかさを感じるのも、 « partie » の響きの成せる技かもしれません。

また、研究会では Après le pas のみ、作家本人によるスペイン語の翻訳も参照しました。« giclées » が フランス語の « goûte » に相当する « gotas » と訳されているなど、スペイン語への翻訳については様々な操作がなされていることがわかりました。実際にバロン=シュペルヴィエルは、スペイン語とフランス語というアクセントの異なる言語間の翻訳に際しては、意味の正確さよりもアクセントの類似に重きを置いて言葉を探す、と述べています [7]。スペイン語とフランス語の間に立つ翻訳者であるシルヴィア・バロン=シュペルヴィエルの詩作は、それ自体が、内なる他者によって手話のように話される「音のない声」の翻訳でもあります [8]。ふたつの言語の「間に立つ」ことで初めて、作家はこの未知なる声によって、遠い記憶や失われたものの探究へと導かれるのだと言えるでしょう。(佐藤)


  1. Silvia Baron Supervielle, « Traduire sa voix familière et inconnue », europe, 91e année— N° 1012-1013, Août-Septembre 2013, p. 242. ↩︎

  2. ÉCLAIR BRUT, « Silvia BARON-SUPERVIELLE – En son for intérieur (France Culture, 1996) », YouTube, 2019 年 5 月 26 日,https://www.youtube.com/watch?v=_uKJQgY2fQo, 2021 年 11 月 6 日閲覧. ↩︎

  3. Ibid., p. 245. ↩︎

  4. 2009 年にはユルスナールとの往復書簡が出版されている。Marguerite Yourcenar, Silvia Baron Supervielle, Une reconstitution passionnelle, Correspondance 1980-1987, Gallimard, 2009. ↩︎

  5. Silvia Baron Supervielle, op. cit., p. 246. ↩︎

  6. Ibid., p. 247. ↩︎

  7. « TRADUIRE, ÉCRIRE, Table ronde animée par Nathalie Crom, avec Silvia Baron-Supervielle, Florence Delay, Claire Malroux », Vingt-cinquièmes assises de la traduction littéraire (Arles 2008), Etranges traducteurs, ATLAS / ACTES SUD, 2008, p. 33-62, p. 36. http://www.atlas-citl.org/wp-content/uploads/pdf/25actes.pdf ↩︎

  8. Silvia Baron Supervielle, « Traduire sa voix familière et inconnue », op. cit., p. 248. ↩︎


Citation :
佐藤園子「シルヴィア・バロン・シュペルヴィエルを読む」、『フランス現代詩読書会』、フランス現代詩研究会、第51号、2021-11-08、URL:https://poetique.github.io/2021-11-18-baron-supervielle/