フランス現代詩研究会 2019 年 2 月例会
- 日時:2019 年 2 月 27 日(日本時間 21:30-24:30/フランス時間 13:30-17:30)
- 場所:東京/パリ(オンライン)
【研究発表】 「絵画の否定神学:イヴ・ボヌフォワ「モランディの地平で」におけるボヌフォワとモランディ、そしてマラルメ」
- 発表者:久保田悠介(東京大学大学院博士課程)
要旨
ボヌフォワは詩作品とともに多くの美術批評を残しているが、それらのテクストでとりわけ主題となるのは、ボヌフォワがしばしば引用する「詩は絵の如く」(Ut Pictura Poesis)という句に象徴されるような美術と詩が相互にもつ関係である。本発表では詩と美術を扱った評論集『赤い雲』(Le Nuage Rouge)に収録された「モランディの地平で」(À l’horizon de Morandi)を扱うことで、ボヌフォワにとって詩と美術が如何なる関係を持っていたかを明らかにすることを目指す。「モランディの地平で」は、イタリアの画家ジョルジョ・モランディを扱ったテクストだが、そこでのマラルメを中心とする詩人への言及と比較することでボヌフォワにとって詩と美術に通底する問題系を明らかにすることが出来るであろう。
報告
詩における「語り得ぬもの」という地平に身を置いたとき、言語芸術は言葉を持たない絵画のような造形芸術と共通点を有するようになる。久保田氏の発表は、こうした詩と絵画の接近を出発点に、「言語が意味を持たない地平でいかに語りうるか」、という問いに対し、詩人ボヌフォワ(及びボヌフォワが読むマラルメ)と画家モランディがそれぞれどのような解答を与えようとしたかを検証していくものであった。
まず久保田氏は、既存の研究を検討していく中で、モランディ論が収録された『赤い雲』に通底する詩人と画家の対比というテーマが見落とされていることに注意を促す。具体的には、初出と単行本収録の異同を追った研究(清水茂)や、ジャコテとボヌフォワのモランディ論を比較した研究(リヴァーヌ・ピネ=テロー)も、ここでモランディと比較される詩人マラルメの存在を度外視しているという事実である。久保田氏によれば、ボヌフォワによるこの両者の比較こそが、同時期に生じたボヌフォワ自身の決定的な思想的変化を特徴づけることが可能であるという。その変化とは、言語の否定により現前を目指す否定神学的営みから、言語を掘り下げていくことで現実性を獲得する考古学的営みへの変化であり、同書に収められたボヌフォワのマラルメ論の言葉を借りれば、「プラトン的イデア(パルメニデス篇)が爪の先まで隅々まで確認してきたものの中でも、もっとも婉曲的で含みのある感覚的なものに等しい観念における実在」を探求する営みに他ならない。このように、この時期のボヌフォワが、「現実の方向」を目指すようになった点を考慮することで、なぜ彼が結論部で、モランディの夢も現実も否定するニヒリズム的態度から距離を置こうとしたかという理由が明確化された。
短時間の発表の中で、初期ルネサンス絵画からマラルメ、ポー、メルヴィルにまで目を向ける発表者の姿勢からは、画家モランディを造形芸術という単一ジャンルに還元することなく、徹底して詩と絵画の関係性の中で思考しようとする強い意志が感じられた。質疑応答では、現前をめぐる問い、具体的には、言葉と物の関係性についてのボヌフォワの詩学に議論の焦点が当てられ、1967 年前後の「否定神学」から「考古学」へというボヌフォワの詩学的転換の重要性が強調されることとなった。今回は、詩と絵画における理論的な側面を整理する作業が中心となったため、具体的なボヌフォワ/モランディ作品の分析は今後の課題として残された。その代わり、久保田氏は質疑応答の中で、ボヌフォワの詩集『敷居の惑わしの中で』を分析候補として挙げることで、今後の研究の方向性を提示した。
(報告者 森田俊吾)
【ワークショップ(読書会)】
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対象詩:
- Pierre Jean Jouve, Sueur du sang より « Espagne », « Lamentations au cerf », « Incarnation » の三篇