フランス現代詩研究会 2018 年 6 月例会
- 日時:2018 年 6 月 21 日(日本時間 21-24 時/フランス時間 14-17 時)
- 場所:東京/パリ(オンライン)
【研究発表】 「劇場から声へ:イヴ・ボヌフォワ『ドゥーヴの動と不動』における非人称の声」
- 発表者:久保田悠介(東京大学大学院博士課程)
- 要旨
イヴ・ボヌフォワのデビュー作『ドゥーヴの動と不動』(1953 年)は、「劇場」「最後の身ぶり」「ドゥーヴは語る」「オレンジ園」「真の場所」という章で構成される。本発表では主に前半の「劇場」「最後の身ぶり」「ドゥーヴは語る」に焦点を当て、「劇場」という表象空間への批判の契機を読み解くことを主眼とする。「劇場」という場において、「私は見る」という表現が頻出することからも明らかなように視覚的な表現が優位を占めている。「劇場」は「見る-見られる」という関係の支配する場であり、そこでは見られる存在であるドゥーヴは客体として「フェニックスを語るドゥーヴを私は見守る(「劇場 9」)」のように語り手を通して表現される存在である。しかし、「ドゥーヴは語る」でそのような表象空間から脱しドゥーヴは主体として語る力を得ることとなる。さらにこの章の後半では「ひとつの声」という表現が反復され聴覚的な表現が強調されている。この「ひとつの声」は語り手の声やドゥーヴの声と解釈もできるが、その不確かで名づけられない声は、主客のあいまいな声であり、誰のものでもない非人称の声という印象を与えることとなる。そこに「主体と客体が画然と分割された劇場的な表象空間から脱出し、主体と客体が混然となった非人称の声の空間へ」という移行を読み解き、そこに劇場的な表象空間への批判を読みとるのが本発表の目的である。そのために特に『ドゥーヴ』の前半を中心として、その移行がどのように詩句において表現されているかを明らかにする。
【ワークショップ(読書会)】
- 対象詩:ボヌフォワ『ドゥーヴの動と不動』より「正義」「ブランカッチ礼拝堂」「サラマンダーの場所」
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報告
久保田悠介氏の発表は、イヴ・ボヌフォワの代表的詩集『ドゥーヴの動と不動』を、彼のイメージ概念を手がかりに読み解いていくことで、劇場空間の〈まなざし〉から〈不在の声〉への移行という新たな主題を導出することを目指すものであった。発表では、詩集前半部の読解に焦点が当てられたが、これは後半部の「真の場所」というボヌフォワにおいて特に重要とされる空間への展開を論じていくために不可欠な作業段階として位置づけられる。久保田氏はまず、本詩集に登場する劇場空間が、一つの仮構的・虚構的なイメージの空間として捉えられるというボヌフォワ研究で共有されている見解を提示した。久保田氏は、そこから、虚構的な空間における〈死〉という視点に着目した。そして、詩の記述に即しながら精緻な分析を進めていくと、詩作品内の視覚的なイメージが支配する空間においては、この〈死〉が疎外されたものとして描かれていることが明らかにされた。ところで、この劇場空間は、「見ることとの別れが進む」という詩篇『劇場』VIII の詩句からも明らかなように、やがて決別すべきものとして描かれている。氏はこの点にも注意を向けつつ、〈死〉からの疎外を批判することは、〈死〉の復権を願うというよりは、むしろ本詩集エピグラフにおけるヘーゲルの言葉「死を支える生」、「死によって成り立つ生」を可能にするものとして考えることができるとした。そしてこの〈死〉は、詩においては、〈非人称的な声〉という形に他ならない。こうした非人称的な、すなわち「不在の声」や「沈黙」といった主題が登場するにつれ、これまでの表象的な劇場空間とは明らかに異質な空間への移行が予告されていることが、氏の読解によって提示された。
今後の課題として残されたのは、上述した前半部の劇場空間への批判・変容が後半部でどのように機能していくかを検証することである。とりわけ後半部では、「真の場所」、「戦いの場所」、「サラマンダーの場所」と題する詩篇があり、更に「ブランカッチ礼拝堂」といった具体的なイタリアの土地にも言及がされているため、これらのトポスに対し、どのように取り組むかが今後の課題になると考えられる。ワークショップでは、こうした後半部の詩作品を参加者たちと共に読解し、意見交換を行っていくことで、今後の研究に着手するための手がかりを探ることができたように思う。会場からは、ボヌフォワのイメージ概念の哲学的な定義についてや、炎や太陽、光といった視覚的な効果と〈不在の声〉との対比を指摘するもの、また、詩集内に頻出する神話や宗教的モティーフと、初期のボヌフォワが取り組んだ神話辞典の編纂との関係について、更には読解に際してどの版を選ぶかという点(ボヌフォワの決定的な著作集・全集は未だ刊行されていない)で、様々な議論がなされた。
(報告者:森田俊吾)