Atelier/Poétique

フランス現代詩研究会

フランス現代詩研究会

瀧口修造とジャック・デュパンを読む

瀧口修造 (1903 - 1979)

瀧口・ミロ・デュパン

今回は瀧口修造の生涯を簡単に紹介することからはじめ、ジョアン・ミロとの詩画集『手づくり諺』の全文、『ミロの星とともに』からは表題作を取りあげ、それらのテクストを中心に読んでゆきました。

ふたつの詩画集は日本語に加え、前者は六ヵ国語の翻訳、後者は仏訳が併録されており、今回は日仏の二言語に注目した。フランス語のテクストは、単なる翻訳ではなく、瀧口本人が執筆したものにジャック・デュパンが手を入れる、という経緯を経ています。その詳細については現段階では瀧口自身が言及した一部分を除いてあきらかにされておらず、従ってどこまでが瀧口自身の創意であるかは判明ではありません。

ですが、今回の参加者の方々との議論によって、それぞれのテクストのフランス語が性格を異にするものであることがわかり、それは現段階でわかっているそれぞれの詩画集の成立過程からも推測することができます。私は当初、仏訳のすべてにデュパンによる手入れが為されていると考えていたのですが、「ミロの星とともに」はその仏訳が『手づくり諺』に比べ、日本語とフランス語のあいだの意味の隔たりが目立つこと、フランス語の詩表現としてあまりこなれていないことに読書会を通じて気づかされました。その要因をデュパンによる手入れに有無にあると仮定すると、瀧口はミロとの出会いの「記録」として、仏訳を改稿することなく、あえてそのまま収録したと考えられます。

一方で『手づくり諺』のデュパンの手の入った範囲があきらかになっているものだけに注目しても、直訳を避けた創意を含む訳出が効果をあげており、それは瀧口自身の自作言及からもあきらかでしょう。瀧口自身のフランス語か、デュパンの手入れの力かはわかりませんが、 «Tes yeux, tes mains, tes seins… Tu es une,/et tu es deux, toi-même.» (「きみの眼、きみの手、きみの乳房…/きみはひとりの雙子だ。」)は同音あるいは類似した音の繰りかえしによるすべらかな音の連なり 8 は、音読すると舌にも耳にも心地が良い、優れた詩句となっています。7

また、各詩画集の内容面での差異も話題にのぼりました。『手づくり諺』の基となっているのは、ミロに即して書かれたものではなく、直接的な言及はないものの、コラボレーションとしてミロの絵や多言語によって構成された詩画集に応じるものでした。

同書に所収の短いフレーズの数々は、それぞれ独立していると同時にどこか連続しています。そこには全体をまとめる一貫した物語や主体の姿を認めることはできませんが、地、水、大気、火の四元素が各連にちりばめられ、同時に頻出する、対になるイメージ(「鏡」、「背中あわせ」、「眼」、「手」、「乳房」、「雙子」、「分身」)、あるいは繰りかえされる対句表現(「永遠は夜とともに渇き、/水とともに流れる。」、「坊主三人、面壁三年、」、「やどかりの星は拙なし、海は凪ぐ。」、「石は土につまずく。土はやさしく。」「蜜蜂の羽搏きつよし、月清し。」)のアナロジーによって連関する。このイメージのレベル、構文のレベルでの連関は、ミロや各国語訳者とのコラボレーションという形式のレベルとも呼応し、それぞれと「背中あわせ」になっています。

『手づくり諺』に対し、『ミロの星とともに』に収録されているテクストはミロ自身に献じられたテクストによって構成されており、ミロの名もそのなかに明記されています。表題作の最終連にはこの詩画集の特徴を見ることができるでしょう。「ミロにならって/とんぼの誕生日を祝おう/この長い島々の国で/あなたがもたらした第五の季節の/ある晴れた日に」。ここでは、ミロの絵画のなかに登場するとんぼを踏まえながら、訪日(「この長い島々の国で」)という記念的な出来事の反映がうかがえます。

全体を通し、翻訳をふくめたコラボレーションの主題を、ときには困難に直面しながら、瀧口はさまざまなアプローチの仕方で試み続けました。ふたつの詩画集はその軌跡であり、成果であるとひとまずまとめたいと思います。今回の浮かびあがった疑問は今後の草稿・書簡の研究の課題になるでしょう。そして、瀧口が生涯繰りかえしたコラボレーションを個別具体的に見ていくための足がかりとなれば幸いです。最後になりましたが、読書会に参加くださった皆さん、ありがとうございました。(山腰)

略歴

幼少時代から大学まで

1903 年富山県婦負郡寒江村大塚(現在は富山市大塚)に生まれる。医者の家系で、父は内科医(元々の専門は眼科)だったが、瀧口が 12 歳のときに急死する。20 年、斉藤茂吉の『赤光』に触れ、一時短歌に熱中。上田敏の訳詩、蒲原有明の作品などを通じて象徴詩の世界に憧れる。母から医者になることを懇願されるが 19 歳のときに母も突然亡くなり、それによって医科進学を断念する。

大学入学、関東大震災、シュルレアリスムとの出会い

1923 年、慶應義塾大学文学部予科に入学するが、関東大震災に遭い、学校への失望もあって退学。北海道小樽に渡る。一時児童教育を志すも、1925 年姉らの説得に従い、四月に上京、慶應に再入学する。のちに永井龍男と再会、同人誌『山繭』に参加する。同人には小林秀雄や堀辰雄がいた。翌年、西脇順三郎と出会う。この頃にランボーの「新しい啓示」1、西脇を介しシュルレアリスムを知り、『衣装の太陽』、『詩と詩論』を中心に詩的テクストを発表することとなる。1930 年にはブルトンの『超現実主義と絵画』(厚生閣書房)を翻訳、美術批評家として本格的な活動を開始する。大学卒業後は PCL(写真化学研究所、のちの東宝)に入社。

政府による弾圧

ブルトンらシュルレアリストたちと文通で交流し、37 年には「海外超現実主義作品展」開催。阿部展也との詩画集『妖精の距離』(春鳥会)刊行。1938 年に『近代芸術』(三笠書房)を刊行。精力的に活動するが、次第に政府からの検閲が厳しくなる。1941 年、特高警察に検挙され、8 ヶ月以上拘留される。釈放後も政府に監視のために執筆を余儀なくされ、戦意高揚をうながす文章をわずかながら存在する。1945 年に東京最後の空襲で高円寺の家全焼し、蔵書、書簡、草稿のすべてを消失。

若いアーティストたちへの支援

戦後、日米通信社に入社し、航空便で届くニュース類から文化ニュースを選び原稿をつくる。1950 年から読売新聞文化部の海藤日出男に依頼され、読売新聞で美術時評を(おもに前年から始まった読売アンデパンダンについて)書くようになり、美術批評の活動を本格的に再開。51 年神田「タケミヤ画廊」開設、人選交渉一切を無償でおこなう。同時期に若い芸術家集団である「実験工房」の活動開始、その命名者となる。

ブルトンとの邂逅 ふたたび作家活動へ

1958 年、ヴェネツィア・ビエンナーレ国際展に日本代表および審査員として渡欧。その後、パリを中心に欧州をめぐり、ダリ、デュシャン夫妻、ブルトン、ミショーを訪ねる。翌年からジャーナリスティックな批評を書くことに障害を覚えはじめ、距離を置くようになるが、展覧会序文などで執筆活動は継続。60 年ごろから万年筆でのドローイングを開始。以後デカルコマニーやバーント・ドローイング、ロトデッサンなど、さまざまな造形的な実験を試みる。66 年にはエッセー集『余白に書く』(みすず書房)を発表。詩と批評、公と私とが連続する、実験的著作。

67 年に『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』(思潮社)を刊行。詩人としての活動に注目が集まる。その後、ジョアン・ミロ『手づくり諺』(1970)、アントニ・タピエス『物質のまなざし』(1975)、加納光於『《稲妻捕り》elements』(1977)など国内外のアーティストたちと詩画集を制作。79 年 7 月 1 日、心筋梗塞により死去。

自作に関する言及

「詩的実験」について

以下引用:

さて私は早い頃に象徴詩の影響で早熟な詩の習作をしたこともあるが、その後ブレークのイノセンス innocence の思想にとりつかれ、実際上の詩作らしいものの不可能な状態におかれていた。もちろん青春期の文学的な影響は混乱していていま当時の状況をひとくちにいえたものではない。多分に病症的で、北海道へ出かけたときも文学書を売り払ってしまい、すべてを清算したつもりだったのである。たしかにシュルレアリスムの思想はそういう空虚を衝いたように思われた。翻訳で読んでいたランボオを覗き見程度ではあるにしろ原文で読んで、そのイメージの光線におどろいたのもシュルレアリスムのおかげであった。シュルレアリスムの詩法がもっとも素朴な意味で、私を魅了したことは事実だが、やがて私は暴力にも近い自己抛棄によって何が得られるかといった「実験」のようなものに身を投げた。そして自分の文学的趣味や様式観をできるだけ抹殺して、イメージの強引な結合をすら企てようとした。ところがいまそれを取りだしてみると、なんと奇妙な文学的趣味や様式観にみちみちているように見えることだろう。[…]

私には文体の趣味はどうでもよかった。レトリックなどはどうでもよかった。別の何ものか、イメージの抽象的な痙れんと火花とでもいったものをもとめて足りたのである。[…]

[…]ところでこんな動機で書かれたものを詩と呼ぶことができるだろうか。「詩集」らしい形で出版することができるだろうか。これらの書かれたテクストよりも、書いた行為そのものを私はいくぶん詩と呼びたい気がするのだが。2

瀧口とミロの出会い

ジョアン・ミロは 20 世紀スペインを代表する画家であり、シュルレアリスムの画家としても知られる。二人の初めての顔合わせは、1966 年秋におこなわれた国立近代美術館でのミロ展のために自身が訪日したときである。なお、1958 年の欧州旅行の際にも瀧口はミロと会おうとしたが、果たせずに終っている。その面会の折に瀧口は自身が 1940 年に執筆した『ミロ』(アトリヱ社)を手渡し、ミロはそれが世界初のモノグラフィーあることを知って驚き悦んだ。それを機に瀧口は自身の執筆した「ジョアン・ミロ」(初出は 1936 年、瀧口がミロについて書いた最初の詩)、「ミロの星とともに」4 を仏訳し、贈ることとなる。二つの詩はのちに後述の『ミロの星とともに』に収録された。

ミロとの詩画集 多国語で書くことについて

以下引用:

[…]しかしその前提にはまずすくなくともフランス語のテクストを別に作る必要があったので、生意気にもフランス語で最初にこころみたものも二、三はある。フランスの詩人のジャック・デュパンがこんなときにいつも校閲してくれるのである。この人は私の拙い表現から敏感に私の発想を捉えて、誤った語法や文法を正しながら形を整えてくれるのである。しかしこの「手づくり諺」の場合に彼がこだわったのは「石はさして千年答えず」の句である。実は私にもこの句の正確な意味には自信があるとはいえないのだが、彼はどうしても「口紅」をつけようとはしなかった。私は手紙で原文に「口紅」の語のあることを重ねて説明したが、それでも彼は黙って、「火のような唇」と訳した。しいて想像すれば火のような赤さだ。私はどこか口紅の艶を想像したのだが、しかしその私にしても「石は口紅をつけて千年も答えないであろう」などという句は書きはしないだろうと、あとで反省してデュパン氏に黙って脱帽したのである。[…]このような事例は随所というわけではないが、さらに他の国語訳と対照すれば、微妙な意味のずれや行き違いがいくつか発見されるかも知れない。訳者はデュパンとブロッサを除いて私の知らない人ばかりであり、私にはその言葉を確かめようがないのである。もはや詩は自分のものであって、自分のものではないことを、固く観念するであろう。3

主要文献

瀧口修造の著作

著書(詩的テクストには *)

  • 『近代芸術』三笠書房、1938 年
  • 『ミロ』アトリヱ社、1940 年(ミロの世界初のモノグラフィー)
  • 『幻想画家論』新潮社、1959 年
  • 『点』みすず書房、1963 年
  • *『余白に書く』みすず書房、1966 年
  • *『瀧口修造の詩的実験 1927~1937』思潮社、1967 年
  • 『シュルレアリスムのために』せりか書房、1968 年
  • 『マルセル・デュシャン語録』東京ローズセラヴィ、1968 年
  • 『画家の沈黙の部分』みすず書房、1969 年
  • 『ファブリ世界名画集 〈59〉ジョアン・ミロ』平凡社、1971 年
  • *『地球創造説』書肆山田、1972 年
  • *『星と砂と――日録抄』書肆山田、1973 年
  • *『寸秒夢』思潮社、1975 年

共著

  • 阿部芳文(展也)画『妖精の距離』春鳥会、1937 年
  • サム・フランシス画『黄よ。おまえはなぜ……』南画廊、1964 年
  • 野中ユリ画『星は人の指ほどの』ルナミ画廊、1965 年
  • ジョアン・ミロ画『手づくり諺』ポリグラファ社、1970 年
  • アントニ・タピエス画『物質のまなざし』ポリグラファ社、1975 年
  • 篠原佳尾画『小球子譚』私家版、1975 年
  • 加納光於画『《稲妻捕り》Elements』書肆山田、1978 年
  • ジョアン・ミロ画『ミロの星とともに』平凡社、1978 年
  • 加納光於画『掌中破片』書肆山田、1979 年

翻訳

  • アンドレ・ブルトン『超現実主義と絵画』厚生閣書房、1930 年
  • ハーバード・リード『芸術の意味』みすず書房、1958 年
  • マルセル・ブリヨン『抽象芸術』(大岡信、東野芳明共訳)紀伊國屋書店、1959 年
  • ジョアン・ベルーチャ『ジョアン・ミロ』(飯島耕一共訳)平凡社、1970 年
  • J.J. スウィーニー『ジョアン・ミロ 視覚言語としての芸術』(飯島耕一共訳)平凡社、1970 年

没後刊行物

著作

  • 『現代詩読本 15 瀧口修造』、思潮社、1980 年
  • 『コレクション瀧口修造』1‐13 巻+別巻、みすず書房、1991-98 年
  • 『瀧口修造 1958:旅する眼差し』慶應義塾大学出版会、2009 年
  • 『白と黒の断想』幻戲書房、2011 年(『コレクション瀧口修造』に未収録の文献を含む著作集)

展覧会図録

  • 『瀧口修造とジョアン・ミロ』佐谷画廊、1990 年
  • 『瀧口修造の造形的実験』富山県立近代美術館、2001 年
  • 『瀧口修造:夢の漂流物』世田谷美術館・富山県立近代美術館、2005 年
  • 『瀧口修造とマルセル・デュシャン』千葉市美術館、2011 年
  • 『詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム』瀧口修造展実行委員会、2013 年

瀧口修造を主題とするテクスト

著作

  • 大岡信『ミクロコスモス 瀧口修造』みすず書房、1984 年
  • 岩崎美弥子『瀧口修造 沈黙する球体』水声社、1998 年
  • 巖谷國士『封印された星 瀧口修造と日本のアーティストたち』平凡社、2004 年

論文/エッセー(ジョアン・ミロ関連に限定)

  • 澤田直「瀧口修造と他国語 稀有な他国語詩人」『現代詩手帖』思潮社、1991 年 3 月号
  • 中島恵「瀧口修造/ジョアン・ミロ『ミロの星とともに』」『慶應義塾大学アート・センター年報』15 号、2008 年

『手づくり諺』

Proverbes à la main (Traduction de Jacques Dupin)

À Joan Miró

Dos à dos l’ossature du miroir : la lumière est sa chair.

Tes yeux, tes mains, tes seins… Tu es une,
et tu es deux, toi-même.

Un beau jour, un petit oiseau se tua
en se jetant contre un miroir : il avait cru à l’au-delà
sur terre.

Les pierres sans sommeil se précipitent et volent
dans le rafales du vent :
chacune est le double d’elle-même. Vite, la nuit !

Qui va là ? Qui que tu sois, parle, transparence !

L’éternité : assoiffée avec la nuit,
coulant avec le ruisseau.

La pierre, les lèvres en feu,
jamais ne répondra,
même dans mille ans.

Trois bonzes, trois années devant un mur,
et se nourrissant de vide. Trois mendiants
leur demandent le reste.

Le ciel rit du mariage des renards, dit un proverbe.
Il pleut dans le soleil, drôle de ciel.
Ciel bleu, rires du soleil !

Mauvaise est l’étoile du bernard-l’hermite :
la mer se calme.

Ayant bu le corps de Griffon
jusqu’à la dernière goutte, hélas,
le rose acquiescement de l’aube !

A l’écart infiniment de l’ammonite
je regarde tomber deux étoiles
en symbiose.

Ecoute chanter une petite fille dans la fosse
de la fourmi-lion : l’écho se trompe de quelques phrases,
malheur de Cendrillon.

Une pierre sur la terre trébuche : douceur de la terre.

Violent coup d’ailes : regarde la lune claire
dans le vol d’une abeille.

Pour présent d’adieu, une goutte de rosée
qui tombe dans ta main : l’heure est seconde.

手づくり諺

ジョアン・ミロに

鏡の骨は背中あわせ、肉は光り。

きみの眼、きみの手、きみの乳房…
きみはひとりの雙子だ。

ある晴れた日、小鳥は鏡に飛び込み
自殺、この世に他界ありと。

突風に飛びゆく不眠の石は
石の分身。夜よ、速く!

誰か? まずは物を言え、透明よ!

永遠は夜とともに渇き、
水とともに流れる。

石は紅さして、千年答えず。

坊主三人、面壁三年、空を食って
生きる。
乞食三人、その餘りを乞う。

天が狐の嫁入りを笑う、と云う。
お天気雨のおかしな空だ。
青空よ、太陽を笑え!

やどかりの星は拙なし、海は凪ぐ。

ついにグリフォンのからだを一滴
あまさず飲み干して、
あわれ、曙は薔薇色の服罪。

アンモン貝を距たること遥かに遠く、
共棲の星が落ちるのを見る。

わらべ唄が蟻地獄に谺する。
聴け、どこかまちがった夕焼小焼。

石は土につまずく。土はやさしく。

蜜蜂の羽搏きつよし、月清し。

掌中に降る露の餞、時は秒。

「手づくり諺」PROVERBE A LA MAIN 『コレクション瀧口修造4』みすず書房、1993 年

ジョアン・ミロと制作した詩画集。日本語に加え、英仏独伊、スペイン語、カタルーニャ語の翻訳を使用した、計7ヵ国語のヴァージョンが制作されている。うち英仏訳は瀧口自身が訳したものに訳者が手を入れたものである。英訳をケネス・ライオンズが、仏訳をジャック・デュパンがそれぞれ担当している。

本書は、ミロ側からの「短い」という要請に応えて制作したものだが、それぞれのテクストはミロの作品から触発されたものではない。その時期に瀧口が独自に制作していた「曖昧な諺」とレッテルを貼った手帖の一部を基に、制作したものである。加えてフランス語で書く必要があったために、フランス語から試みたものもある。なお、瀧口における「諺」はいわゆる諺ではないが、その言葉の意味/意図を瀧口自身も『手づくり諺』を刊行時点で「改まって書く段階ではなく」、「古い書き物の動機に特殊の興味おぼえていることだけをいっておきたい」5 としている。

『ミロの星とともに』

En compagnie des étoiles de Miró

Une fois
Sous le pied des nuages sombres
Le soulier qui avait perdu ses feuilles égara son écho
Pourtant que d’échos clairs d’empreintes de pieds
Illuminaient la nuit !

Homme de questions homme étrange gonflé de vide
Homme la bouche grande ouverte criant et riant
Cet homme de la Terre homme du feu et homme de l’eau
Parfois homme à hauteur des blés
Mais dressé comme un rocher abrupt
Homme sur la terre léchée par la brise
Homme à la mémoire aussi lointaine que l’escargot
Homme affrontant le soleil comme une paume à travers nous
Homme de l’image naissante homme de questions
Cet homme est notre voisin.

Quand la nuit s’approfondit
Obscure bleue jusqu’à la teinte du soumi
Dans le ciel purifié les étoiles ont soif
Mais pourquoi attendons-nous la parole ininterrompue des étoiles ?
A cet instant le peintre se dresse
Entre le ciel et la terre
Et fixe le clignotement des étoiles
A présent les étoiles sont si proches
Que je suis conduit joyeusement par ces étoiles de Miró
Par ces membrure d’étoiles
Aussi proches que nos doigts.

A l’instar de Miró
Clélébrons*(sic)* l’anniversaire de la libellule
Dans ce pays des îles alignées
Par le beau temps d’un beau jour
De la cinquième saison
Que nous a apportée Joan Miró.

かつて
黒い雲脚のした
足を失った靴は語らなかった
葉を失った樹から木魂は還らなかった
しかし なんという足跡の木魂が
夜を彩ったことだろう!

なぜの人 膨れ 凹んだ人 大口をあけて怒り 叫び 求め そして笑う人
この土の人 火の人 また水の人
ときには野の麦のように低く おtきには峨々と立ち
また微風とともに這う 土のうえの人
蝸牛のように遠い記憶にめぐまれた人
そしてかざした掌のように 私たちのかなたの太陽に 向う人
絵に生れた人 なぜの人 隣の人

夜が深く 墨のように青く
空が澄むとき 星たちは渇く
なぜ人は待つ 長い星の言葉を
そのとき画家はまさしく空と地のあいだに立つ
そのとき画家は星のまばたきを射る
いま 星はこんなに近い
私はミロの星に導かれるだろう
骨だけの星に
指ほど近い星に

ミロにならって
とんぼの誕生日を祝おう
この長い島々の国で
あなたがもたらした第五の季節の
ある晴れた日に

「ミロの星とともに」En compagnie des étoile de Miró『コレクション瀧口修造3』みすず書房、1996 年。

『手づくり諺』に続くミロとの二冊目の詩画集。こちらは瀧口の側からの発案で制作された。本作では、フランス語訳が詩画集とはべつに印刷され、箱のなかに収められている。本体は瀧口の発想から折り本形式(あるいは蛇腹形式)になっており、詩画集であると同時に、絵巻物のようにも見ることができる、特殊なかたちを採っている。そこには瀧口がミロに献じた四つの詩とともに、ミロの絵が表紙、見返し、奥付、詩行のすべての余白、全頁にわたっている。

ここに収録された詩は、前述の二篇を含めどれも「ジョアン・ミロとの出会いの忘れがたい記念」6 であり、ゆえに『手づくり諺』に較べ、ミロへの応答がより直接的に為されている。

注釈


  1. 1. 瀧口修造「自筆年譜」『詩人と美術 瀧口修造のシュルレアリスム』瀧口修造展実行委員会、2013 年、P.162
  2. 2.「超現実主義と私の詩的体験」『コレクション瀧口修造1』みすず書房、1991 年、P.390‐392
  3. 3.「「手づくり諺」ノート」『コレクション瀧口修造4』みすず書房、1993 年、P.327‐328
  4. 4. 同作はもともと展覧会の主催者である毎日新聞社の求めで、そのレセプションで披露するために執筆されたものである。その過程で、日仏両国語で朗読する必要が生じ、訳出された。大岡信はその事実と仏訳を手伝ったことを証言している。(大岡信「「手づくり諺」への旅」『手づくり諺展』南画廊、1970 年)
  5. 5.「「手づくり諺」ノート」『コレクション瀧口修造4』みすず書房、1993 年、P.327
  6. 6.「ミロとともに 詩画集の誕生」『コレクション瀧口修造3』みすず書房、1996 年、P.285
  7. 7. 澤田直は「ジャック・デュパンが目を通した仏訳に限って言えば、殆ど手は入れられていないのではないか」とし、この句を「これは訳だとすればかなり自由な訳である。というよりは、この日本語をオリジナルとし仏語版を訳として見るのではなく、ふたつながらオリジナルと見做すべきだろう」としている。(澤田直「瀧口修造と他国語 稀有な他国語詩人」『現代詩手帖』思潮社、1991 年 3 月号、P.91
  8. 8. この詩節全体の音節数は 6/3/6 となっている(Tes /yeux, /tes/mains, /tes/seins ...// Tu /es/une, //et/tu /es/deux, /toi/-même)。これ以外の箇所も、10 音節や 12 音節に近づくように配慮されているものがあり、完全にとは言わないまでも、比較的韻律的であると考えられる。これに対し、『ミロの星とともに』は最初の詩節だけでも、3/7/7//8/6//5/6 となっており、十分に韻律的とは言えない。むしろこの詩では、韻律よりも単語レベルでの反復(homme/étoile)に力点が置かれている。

Citation :
山腰亮介「瀧口修造とジャック・デュパンを読む」、『フランス現代詩読書会』、フランス現代詩研究会、第34号、2016-07-30、URL:https://poetique.github.io/2016-07-29-takiguchi/